全然「身の回りの」ものじゃないじゃないかっ!との声が聞こえてきそうですが私にとってはとってもとっても思い入れの深い中国です。今回はフィルムスキャンによって得られた画像を中心にお送りします。残念ながら大事な所のフィルムが大量に行方不明ですのであまり雰囲気は感じられないかもしれませんが…フィルムが見つかったら追加して作りたいと思います。

第7回は中国です。

 中国へ行ったのは中学生の時でした。私の住んでいる市の友好都市の一つに中国の秦皇島市という所があり、他の姉妹都市と毎年交互に中学生を親善交流事業として送り出してくれているのです。先生に「お前行ってこい」と言われるまで知りもしない所でしたが…。以下が本派遣のだいたいの日程となります。

一日目地元の駅から関空、上海、北京へと移動
二日目バスにて秦皇島市へ移動、表敬訪問
三日目中学校訪問、ホストファミリーと対面
四日目老龍頭、天下第一関、秦皇求仙入海処など見学
五日目終日ホストファミリーと過ごす
六日目秦皇島から北京へとバスで移動
七日目明の十三陵、八達嶺の見学
八日目天安門広場、故宮博物院、天壇公園の見学
九日目北京から関空、地元へと帰宅。

<一日目>
 初日は移動日です。駅から特急で新大阪駅まで行き、そこから関西国際空港へ向かいます。ここで飛行機に乗り換え、まずは上海へ向かい、そこで入国手続きを済ませて更にまた飛行機で北京へ向かいました。上海は経由しただけでしたので空港しか見ていません。残念。北京に着くともう夜となっていました。日本との時差は-1時間ですのであまり違和感はありません。でもなんだか得した気になってしまう(笑)北京空港内での写真は撮っていませんが、とにかく人が多かった気がします。みんなとはぐれないように必死。

 空港からバスに乗り宿泊地へ行きます。途中で初めて本格的な中華料理を食べました。日本で食べるような中華料理とは違い、非常に独特に感じられたのが印象に残っています。中国では出されたものを全て食べるのは「まだ足らない」という意味に取られて失礼にあたるのですが(レストランでもそうなのかは分かりませんが)、みんなで必死に完食しようとしました。無理でした。多すぎ!夕食が終わったらホテルへ向かいました。

<二日目>
 二日目もほぼ移動日です。当初の予定では電車で移動だったのですが、何故か貸切のバスに変更されます。この辺、中国はとってもルーズに感じますが、逆に考えれば日本的な考え方は融通が利かないという事になりますね。初めてのカルチャーギャップかな?
 11:50に唐山市内の大衆食堂で食事を取ります。ホテルやおっきい食堂には無い、本当に日常的な雰囲気でした。それほど大きな食堂でもない所にいきなり外国人が20人以上も入ってきたので店内の人みんなビックリ。
 またバスに乗って移動、目的地の秦皇島市へとひらすらです。…長い…ひたすら長い!記録を見ると6時間乗っていたようです。道はずうーっと直線で信号も無く、道には畑が広がっていたり、ロバがいたり。おっきい火力発電所も見えました。それにしてもこれだけ長いと相当ヒマです。UNOやってても飽きます。15:50時ごろホテルに到着。正装(と言っても学校の制服)に着替え、夜の表敬訪問・食事会に備えます。
 18:00時ごろ表敬訪問が始まりました。秦皇島の副市長さんらとの挨拶です。テレビカメラも来ていて緊張。こちら側の団長の挨拶の後、記念のTシャツを頂きました。その後は夕食会となります。中国語での乾杯は「干杯(カンペイ)」。緊張しながらも和やかな雰囲気でした。この食事で強烈な印象だったのがお茶です。正確にはお茶の給仕。きゅうすみたいのを持ってこられるのですが、その注ぎ口が半端でなく長い。じょうろみたいです。団員の記録を見ると60cmくらいあったようです。そこから茶碗へ注がれるのは最初驚いた…。
 夕食会が終わってから翌日の日程が伝えられました。なんとホームステイが2泊から3泊に変更との事。う〜んやっぱりアバウトだ。

<三日目>
 いよいよ本格的にいろいろと回り始めます。この日は中学校を訪問しました。
 中国の朝はこんな感じ。

 中国はほとんど一軒家は無い感じでした。集合住宅がいっぱい。あと空は常に曇った感じがありました。大気汚染のせいなのかな?たまたま気候がそうだったからだといいのですが…。

 ホテルの中はこんな様子。洋室のせいか、あまり日本のホテルと違わないように見えます。ただ、水はホテルといえど硬水なので、軟水に慣れた日本人は飲めません。

 バスで中学校へ向かいます。まずホームステイ先の中学生との対面。それからお互いの国の文化交流として、日本側は歌と踊り、中国側も様々な演奏などを見せて下さいました。

 垂れ幕を見ると「中日友好」になっています。私たちがこの意味を表す時には「日中友好」と書くわけで、そんな普段気にもしなかった所にも日常の感覚との違いがあるな、と外国に来た実感が沸くのです。中国の生徒さんたちは「幸せなら手を叩こう」を日本語で歌って下さいました。有名なのかなあ。
 文芸交流会が終わると、ホームステイのパートナーと一緒に書を見に回ります。さすが本場だけあって凄い…。私たちと同じかそれより下の年代の子の書いたものなのに、非常に素晴らしかったです。目の前でニワトリの絵をササッと描いてくれたりもしました。これもまた素晴らしい。文化の違いですかねえ。

 途中、昼食を食べに食堂へ行きます。これはその時に撮った写真だったかな?噂どおり自転車が多いです。でも私の印象では車が想像以上に多い!というのが頭に残りました。クラクション鳴らしまくりです。
 次は授業に参加します。最初は英語の授業で、プロジェクターでスライドを映し、そこに書かれた問題を解いていました。中国の中学生はとっても意欲があります。日本では中学ともなると恥ずかしがったりしてなかなか手を挙げませんが、こちらではほとんどの生徒が挙げていました。あと、肘をついたまま手を挙げるのが習慣らしいです。私も発言しましたが、必要以上に緊張してしまいましたよ(笑)
 そのまた次は美術の授業です。大学のように、生徒も教室を移動していました。この授業では切り絵の内容で、隣の子と一緒に折り紙と鋏を使って作品を作っていきます。あまった切れ端で折り紙の手裏剣を作ってあげたら、喜んでカンペンケースに張ってくれました。嬉しかった。
 それから理科室・理科準備室・展示室などを見て回ったのですがあまり覚えていません…もっと写真を撮っておくべきだった。
 そして最後、スポーツ交流です。ビーチバレーやムカデリレーなどをやりました。「加油、加油(ガンバレ、ガンバレ)」の声が響きます。機械に油を差して動かすようにする、というような意味から来ている言葉ですね。
 この学校での行事が終わったら、ホストファミリーの家族との対面です。この日から3泊はホームステイ先の家族のもとで寝泊りさせていただきました。ホームステイでの思い出は後でまとめて書きます。

<4日目>
 この日は秦皇島の歴史を知りに観光へ行きます。ホストファミリーにホテルへ送っていただき、団員と再会しました。どうやらうまく行ってない人もいたようで、「最初に『I can't speak English』と言われてどうしようもなくなった」てな人もいました。ううむ。

 まずは老龍頭へと行きます。前に日記で、スキャナの機能を紹介するのにフィルムスキャンした画像ですね。万里の長城の一番先端に当たります。

 一番先っちょから撮ってみたり。この遥か彼方に日本があります。何となく信じられないような不思議な気持ち。海面に日光が反射してとても綺麗でした。
 老龍頭から少し移動して、天下第一関へとやってきます。明時代の重要な関所であり、建物の中には以下のような展示物がありました。

 中国の歴史物によく出てきそうな帽子ですね。その他すんごい大きな青龍刀や鎖かたびらが展示してあり、当時の戦いの凄さを垣間見れます。本当にこんなの振り回してたならどんな体格だったのか…ブルブル。
 午前の予定はこれで終わり、昼食を食べにまたもや食堂へ。途中横切る部屋では何と結婚披露宴が行われておりました。その中をズカズカ横切っていきます。日本じゃ考えられないなあ(笑)この辺りまで来ると団員はかなり疲れてきたようです。特にホームステイでの会話が思うようにいかなかった人は憂鬱そう、と当時の私は記録に書いていました。
 午後は秦皇求仙入海処を見学にいきます。その名の通り皇帝が仙人を求めて海へ入っていった事で知られる場所で、当時の様子を再現した人形や始皇帝の大きな像、その他展示物がありました。ここもとても綺麗な場所だったのが印象に残っています。
 16:00ごろ出発し、中国で初めてショッピングを楽しみます。ハンコや宝石、お茶がよくあったような気がします。当時で1万円=600元ほどで、換算するのが大変。中国での価格はだいたい高めに設定してあるので交渉必須となります。露店とかでなくても、こんなデパートでも交渉できるのは新鮮なのです。気が弱くてあまり粘れませんが…(;・∀・)
 初めての商店にキョロキョロしている間に時間終了、ホストファミリーの待つホテルへ向かいます。

<5日目>
 5日目は終日ホストファミリーと過ごします。海へ行ったり、山へ行ったり、街へ行ったりしました。フィルムは無いし、ほとんどは私や友人と写したものなのでここでお見せできないのが残念ですが、どこもとても美しい所でした。いつか、是非ともまた行ってみたいと思うのです。また、街中も普通の観光旅行では行けないような、なんとも生の生活という感じを受ける事ができました。あんまり関係ないですが、タイタニックのプラモデルを売っていたのを今思い出しました。
 ホスト先では朝ごはんを近くの屋台へ連れて行ってもらったり、夜、自転車の二人乗りで親戚(知人かも?)の方のお宅へお邪魔させてもらったりというのも貴重な体験でした。中国語は挨拶程度にしか知らないので、会話は英語か漢字の筆談になります。持ってきたUNOのルールを筆談で必死に説明しました。何とかゲームをできるようになり、「UNO」を言い忘れた事を指摘してみんなで笑いあった事などが印象深いです。完全に通じる言葉でなくても、心が通じ合う感覚は不思議でありうれしいものです。持ってきたスピッツのテープを聴いてもらったり(この頃はまだMDも知らなかったな)、ステイ先の子の持ってたテレビゲームをしたり(何故か「三つ目が通る」のアクションゲームもありました。それも日本語。)、お母さんにシャツを洗濯板で洗ってもらったりしました。洗濯板を見るのも初めてだったかも。今は分かりませんが、まだ洗濯機は普及していないようです。

 くる時に途中で買ってきて下さったというアヒルのぬいぐるみ。下のほうのファスナーを開けて電池を入れ、手を叩くと…歌いだしますっ!「イチロ〜さんの〜牧場〜で〜イ〜アイイ〜アイオ〜」を目を緑に光らせながら。なんとも言えない味があって好きです。

 こちらは全て貝でできた手作りのマスコット。可愛い!

 こんな素晴らしい工芸までいただきました。貝を一つ一つ削って、十二支を完成させているのです。

 アップで見るとこんな感じ。色も自然につくようです。これだけそろえるのは大変だ…凄い。

 他にもいっぱい頂きました。でも何よりうれしかったのは皆さんの暖かさです。どうしても言葉が通じないと不便な事もあるけれど、それでも心が通じていると感じる場面は確かにあるのです。皆さんとても優しく親切で、お世話になりっぱなしでした。一番多く使った中国語は間違いなく「謝謝」です。もっともっと多くの表現で感謝の気持ちを表したいのだけれど何もできないのが口惜しかった。

<6日目>
 この日でホストファミリーや秦皇島とお別れです。8:00にホテルまで送っていただき、そこで団員それぞれホストファミリーに別れを告げました。パートナーの子は学校で来れず、お父さん、お母さんが送って下さいました。パートナーの子とはしっかりとしたお別れを言う機会が無く非常に残念…。お父さん、お母さんとは片言の中国語でお別れを言いました。実際に体験するまでは想像できませんでしたが、これは泣けます。いろいろ優しくしてもらったのを思い出してしまってこらえきれないです。
 そして秦皇島からバスで北京へ戻ります。またも一日かかります。この辺で私は体調崩してバス内で寝込んでます。食べ物がどうしても合わなかったのと、疲れとバス酔いが一度にきたみたい。移動日で良かった。団員の優しさが染みます。うぅ。
 この日はバス内でホームステイの感想を発表するくらいで、特に何も行事は無くひたすら移動で終わりました。相変わらず平坦な風景と直線の道路が続きます。何度も思うけど広いなぁ。

<7日目>
 さて7日目・8日目は北京内の名所を回ります。最初は明の十三陵。十三代の万暦皇帝と愛する皇后・貴妃のお墓です。日本にも古墳なんてのがありますが、中国のお墓も相当大きい。地下に巨大な空間が広がっています。撮影禁止で、私服警官もいるという事なので写真は撮れませんでした。
 14:30には万里の長城の「八達嶺」という箇所に着きました。多分万里の長城としてよく見られる写真はここの事だと思います。とにかくスケールが大きい…自分が立っている場所から、遥か遠くの山にまで延々と、もう嘘みたいに長城が続いているのです。それも、自分たちがバスで一日かけて行った老龍頭から続いているとは。こんなの今の時代で作れって言われてもどこの企業も無理だって言って拒否するんじゃないかと思うってくらいの巨大さですよ。当時どれだけの力を持っていたのかがよく分かります。現在でさえ月から見える唯一の建造物と言われています。お見せしたいんですがフィルムが見つからない⊃д`;)
 この八達嶺は「男坂」「女坂」と呼ばれる坂に分かれており、しばらく歩く事ができます。私の歩いた女坂は緩やかな方…のはずですがすごい坂でした。階段もわざと高さがそろわない様にしてあり、当時の北方民族の侵入を防ぐ役割が非常によく分かりました。これでは人も馬もまともに進めません。ちなみに男坂へ行った人の話によると酷い所では90度近い傾斜があったとか。ブルブル。そういえばここか秦皇島の長城にラクダがいました。なんでだろう、観光用かな?(笑)ここでの見学が終わるとショッピングの後ホテルへ向かいました。

<8日目>
 いよいよこれで見て回れるのも最終日です。かの有名な天安門広場へと行きました。

 ニュースなんかでもよく映る場所ですしよくご存知かと思いますが、とにかく人、人、人!広場もとにかく巨大であります。

 間に大きな車道があるので地下道を通り、前まで行きます。近くで見てもやっぱり大きいなあ。この中は故宮博物院となっており、建造物・展示物を色々と見学しました。しばらく行くとこんな感じの光景。

 写真が下手で伝わりにくいのですが、もう呆れるくらい広いんです。何万人入るやら…下が石畳なんですが、地下からの進入を防ぐため、3mの深さから石が敷き詰められていると聞きました。なんともはや。遠くに見える門をくぐっても、また同じような光景が広がります。そしてそのまた次の門をくぐっても…ガイドさんの話によると、故宮博物院を全部見るには一週間はかかるとの事。

 これは建物と建物の間の通路。ただの壁なのに向こう側が見えませんよっ!一点透視図法のお手本みたいな構図ですな。

 ここは皇帝の座る場所だったと思います。人でごったがえしていたのでカメラだけ上に出して撮影。当時は極々少数の幹部だけしか見る事の出来ない場所だったんでしょうね。

 最後は天壇公園へと行きました。こちらは大きさでは故宮博物院を上回るとか。もう頭が追いつきません…。

 その中の建造物の一つ、祈念殿です。この建物は有名なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。五穀豊穣を願った場所だそうです。
 さてこれで主な行事は終わり。翌日日本へ帰ります。

<9日目>
 早朝に起床し、お世話になったガイドの方やバスの運転手さんにお別れの挨拶と色紙を渡しました。いろんな人々に支えられてこの旅を安全に進めることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 北京空港から直接関西国際空港へ。みんな日本へ帰る安心感と中国を離れる寂しさでいっぱいです。本当に色々ありました。
 関空から特急で私たちの故郷へ。ようやく戻ってきたという気持ちの反面、ずっと一緒に旅をしてきた団員と別れるのがまた辛い…日数にするとほんの短い間だけれども、助け合いながら、とっても濃い交流をしてきました。みんなとの出会いは私の大事な経験として、またこれからの指針として胸に刻み込まれています。
 地元の駅へつくと、想像以上の人の拍手に驚かされます。家族や職員の方が出迎えて下さっていたのでした。代表の挨拶が終わり、みんなそれぞれの思いを胸にして帰途に付いたのでした。




 以下、各種チケットなど。

 秦皇求仙入海処のチケットです。この反対側が海となっていました。券の右に空いている穴は、それぞれの施設を回るたびにパンチされていった跡です。

 こちらは明の十三陵の入場券。

 今度は八達嶺のチケット。迫力のある写真です。英語でも解説が書かれていますね。

 故宮博物院の入場券です。今回初めて気づきましたが外国でも\マークを使うようです。

 裏は何故かネスレの広告(笑)

 最後は航空券の半券。中国語だと何だか雰囲気も変わって見えます。



 あと買ってきた小物など。

 やはり中国にはお茶がたくさんありました。食事の際もお茶です。水はミネラルウォーターが必要なので日本のようには飲みません。

 七宝焼きの亀です。七宝焼きは中学生の時の美術でやった事がありますが、こんな風に多色で立体的な物を作るのは難しい。

 こちらも七宝焼きの懐中時計です。こんな雰囲気とても好き。実用には用いませんが…


 今お見せできるのはこれぐらいです。少しは雰囲気が伝わりましたでしょうか?

 人間が生まれて何千年経っても、こんなに文明的になったと感じる現在でさえも、異文化間のわだかまりは依然として存在しています。自分の普段の習慣の違いの大きさから、とんでもない事をしているように見えたり、全然そんな事は無いのに悪意を持っているように映ったり。自分の生まれ育った環境とは常識自体が違う事も考えずに、相手の事を考えずに、感情だけが先行して生まれる悲劇だらけで世界は満ちています。相手の立場に立って、全世界的な目で文化を理解しようと互いに務めれば、争いは無くなるとはいわないまでも、かなり減るはずなのです。私が交流した中国の方も、私には奇異に映る点がありました。例えば家族で突然怒っているような調子で言い合うとか。別にケンカしてるわけではありません。違う、と思った事を真剣に言い合っているという事なんですね。もし私がペラペラに中国語を話せ、突然そういう事になったら驚き、敵意を持つかもしれません。しかしそこで感情的にならずに考え、相手の文化を理解しようとする姿勢が大事なのです。お互いに相手の事を考えれば、きっと理解しあえるものと信じています。ホストファミリーの方と、言葉が通じなくとも心が通じたと確信できる私はそう思います。
 特殊な環境でなければ、私たちはあまり外国の方と接する機会が無く、ふとした事でその国の人全てを印象付けてしまう事があります。卑近な例で言うとサッカー。「あれが全て、中国人は全員あんな風にマナー知らずだ」という認識が広まってしまった気がします。実際、日本を憎む意識のある文化なのかもしれません。でもそんな事、日本人である私達がニュースごときで理解できるわけは無いし、ましてや一人一人の気もちが全て一緒なわけがないです。目立つ過激な人の言動ばかり見て、全てを知ったつもりになる事だけはしてほしくないんです。
 長くなりましたが、今回の企画を通し私が言いたかったのは、異文化に対する視点を大きく持って欲しいという事です。代表の一人として貴重な経験をさせていただいた分、少しでも周りの人にその事を伝えるのが責務であると思っています。皆さんも、これで外国に、特に近くの中国にちょっと興味を持ってもらえるとうれしいな。長々と読んでくれてありがとう。くじらでした。ではでは。

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